自分の矛盾

ちょっと分りにくい例だけど。


この前、近くの大学であった講演会を聴講した。専門分野の人が集まるので、研究者の交流も活発になる。まぁ、自分は、その分野も浅く、ひとりぼっちで席に着く。


周りを見る。スタッフの学部生、てきぱきと準備を進める。自分の出身校と違い、入試は難しく、カリキュラムも充実した大学の学生。やっぱり、大学の頃の自分や周囲とは違うと感じる。別に等しくある必要は無いが、避けられない現実を目の当たりにし、人生について暗澹とした気分になる。


学生を目で追って、さらに気分は沈む。学生は積極的に、老齢の専門家や、ビジネススーツをまとった企業人の所に赴き、雑談や意見交換をしている。こっちは社会人にもなって、人脈を作るでもなく、ただ座っている。


"社会で苦労して働いた事も無いくせに"。ふと、どす黒い高圧の気体が、風船の一点にごく小さな穴を開けて噴出した。どうせ、「私はこのような仮説をもっています」
と言ったところで、社会に出れば、そんなものをやる時間なんてないだろうさ。説得材料がなけりゃ、思いつきの提案なんて、もれなく罵倒付きで帰ってくるぜ。社会で苦労して働いた事も無いくせに。


噴出が収まって、自分の心を見渡したときの惨状ときたら。もし、学生の頃の自分が、そんな暴言を吐かれたら、きっと反論する。"意見を口にしてフィードバックを得るだけでも有意義だ。そもそも仮説を立てるだけでも、意見を整理して、まだ追及されてない点を見つける、それだけでも有意義だ。むしろ口だけのお前は、何か自分で意見を持ったりするのか?"もちろん、今の自分だって同じ事を口にする。


自分が言われたら言い返したくなる言葉を、これまた自分が思いつく。それを認識した時、自分はやな奴だと思う。