ニコニコ動に嵌った経緯2

前回の続き。
そこで、丁度登場したのがボーカロイド初音ミクです。


最初は遠めから眺めてたんだけども、google画像事件やwikipedia事件を見てると面白くなってきて。肝心の音声というか楽曲ですが、初期で好きなのはcelluloidや桜の季節、ハジメテノオト。


登場の頃は、あ〜ソフトが喋ってるくらいの印象。が、上述の曲を聴いて、すげ〜、普通に好きな曲wwwなんて思った。その後、ランキング上位が同じ画像で埋め尽くされているのを見る。これがメルトだった。完全に嵌った。


またもや脱線だけど、メルト作者のryo氏はプロに近い人なのかなと思う。恋戦やワールドイズマインは、それぞれ違った方向に、アグレッシブに作られていてすごい。だけども、共通して感じることがあって、曲の音を安心して聴ける。違和感が少ないというか、複雑ながらまとまっていて、才能かはたまた経験か。


それから、作者を始めて意識したのがCOSMO@暴走P。(ryo氏はその後から)暴走を知ったときは、既に東方アレンジに洗脳されており電波には慣れていた。だからか、すんなり暴走にはまった。んで、あめこさんの歌ってみたで、二度はまった。


その後、0のイラストに惹かれ聞いてみると、あの暴走Pの曲でピアノの複雑な動きがきれいで、リピートしてるうちに驚異的な中毒性の虜になった。その後、∞→消失に進んだ。


それから、他の好きなPの別作品も辿るようになった。celluloidの作者はbaker氏だけどもカナリアもだと知って驚いた。んで、soundも良く聴くようになった。


こんな風に嵌っているんだけど、未だに飽きない。感覚的で申し訳ないのだけど、あるものに嵌って、その熱がピークに達するまでの時間と、熱が冷めるまでの時間は相関があると、少なくとも自分に限っては思う。まー、よく生物種に関して言われてること。で、感覚的にはボーカロイドにも飽きてて、以前聴いていたJ-POPに揺り戻しが来ると思ってたんだけども。


ボーカロイド曲の面白さが継続するのは、ボーカロイドが道具であること、作者の土壌が広いことだと思う。ボーカロイドが道具というのは、ボーカロイドが目的とならず手段となることで、多様な表現ができることだろう。視聴者は作者の数だけ、多様な曲を聴くことができる(ただし、完全な道具でなくキャラクター性は持っていて、それがゆるいジャンルではある)。そして、ニコニコ動画という多数の人が集まる土壌だ。だから、ゆるいジャンルはあるものの、束縛されずに多様なベクトルの曲が作られている事、これが飽きにくい理由なのかも。