葛藤の再確認

1始めに

自己の内面で起こる葛藤が消耗を招くのは、なるほどそのとおりだと思う。対立事項の優劣を安易に決定できないため、細かく検討して最良案を模索しなければならない。ゴールが見えないから葛藤しているのであって、その状況は苦しいし、先に進めない焦燥感も募る。(消耗を招くと言えば創造も同じだが、対価として出力を得られる。)

また、度数はあるものの、最終的には切り捨てる部分もでてくる。それなのに、葛藤の末に得るものが無かったり、価値を見出せないならば、余計に気持ちが落ち込むのである。

逆に、臨時収入でデジカメを買うかゲームソフトにするか、なんて葛藤は楽しいだろうし、その後は充実感を強く感じるだろう。

さて、どうしてこんな事を書いているかと言うと、切り捨てることばかりに囚われ、それが続くうちに逃避しがちになっており、葛藤との向き合い方を再確認して無用な消耗を防ぎたいからである。

2葛藤の定義

内面整理の為なので、勝手に定義する。
何かを進めていく上で、どちらかを選ばなければならない対立事項が出現し、優劣を安易に決定できない状況に、葛藤という言葉を当てる。

3前提

(1)葛藤を終わらせると、先へ進める
(2)葛藤は消耗を招く
(3)切り捨てる部分が必ず出てくる

4どうするか

前項の箇条書きを基に考える。
(1)→葛藤を終えないと先へ進めない
(2)→葛藤が長引くと消耗が増える
したがって、判断遅延に利点は無く葛藤は早く終わらせるべき。ゴールを明確にして道筋を具体化すると共に、判断遅延による損失や消耗を頭にしっかり刻んで、逃避しないようにしたい。

ただし、「(3)→安易に結論は出せない」なので、切捨てによる損失と、判断遅延による損失や消耗を把握して、最小となるよう考えたい。

何か一般論的というか、当たり前な結果になった。もう少し考えたい。

5そういえば

理論的意思決定を繰り返し、それをマクロ化すると一種の感情のようなものになるかと思う。自分の倫理基準を論理的に考え抜いて作成してしまえば、それを後ろ盾にし、別事例では論理的思考をショートカットして反応できる。(適用事例は選ばんといかんけど)