短絡的すぎるだろう

50代と話してると、そのステレオタイプ的見方に疑問を持つことがある。仕事上では的確な指示を出したりするので、そのギャップがなんとも際立つ。


こんな記事を読んだ。ゲームと無差別殺人”両者に因果関係はあるのか?- ZAKZAK( http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008061830_all.html )無差別殺人事件の動機とゲーム等(ひぐらしや東方など)を結びつけた典型的な論調。自分がそれらの体験版をプレイしたり限り殺人のを推奨するゲームとも思えないし、ニコ動やブログで反応を見た限り、それらの作品から殺人を思いついたような意見は無かった。(ひぐらしはアニメも見たのだけど、確かに最初の方は残酷な描写もあるが、それは被害者視点であるあし、その後の話は殺人よりメタ的な構造を主体に移り変わり、殺人を推奨するようには思えない。この描写が影響を与えるなら、多くのホラー映画も規制さるべきだろう。また、東方に至っては、インベーダーゲームの延長のシューティングゲームである。この際登場人物同士が戦うが(普通なら戦闘機等だろうか)、"あくまで弾幕ごっこ"であり、勝敗がついても死ぬことはないという設定(二次設定かも)が浸透しているように思う。)


したがって自分の印象として、ZAKZAKの記事自体は無理やりな感があるのだが、この記事へのブコメで、id:y_rさん曰く『(夕刊紙は基本的には対象読者の満足を満たすような記事を書くので)/僕らから見たら目茶苦茶でも売れてる限り方向転換はない』とあった。なるほど、読者に受ければ(購買されれば)、記事がいつも正しい必要は無いのかもしれない。


翻って、この記事の向こう側には、ゲームと殺人を短絡的に結びつけることで満足する読者層がいるのかもしれない。ZAKZAK夕刊フジのネット版みたいなものだそうで、主観なのだが、主な購買者層は中年サラリーマンのイメージがある。


それが自分の身近な50代とかぶって見えたのだけど、一方でその50代の方の経験に裏打ちされた行動や判断には頭が上がらない事が多々である。つまりは、真っ当な考え方を持った人でも部分的にはステレオタイプな価値観を持つかもしれない。ちょっと飛躍するが、ゲームと殺人を短絡的に結びつけることへ批判をしている人でもその可能性はあり、自分としては気をつけたい所である。